『絶対』と『完璧』を頻繁に口にする人がいる。
些細なことにも完璧を求めているようで、完璧じゃないとそのことを悔やんで、次は絶対に完璧を目指そうとしている。
毎日、完璧な状態を求めている。
そんな人生を過ごしていると毎日が辛くなってくることに気がつかない。
絶対と完璧をやめると人生が心地良くなるのに。
完璧主義者と真面目な人
完璧を目指す人には真面目な人が多い。
自分がきちんとしているため、他人にも同じレベルを求めてしまうが、他人の真面目具合は人によってちがうため、
「どうしてあの人はああなの?」
「どうしてあなたには出来ないの?」
となってしまう。
これが隣人だと近所付き合いにも悪影響が出るし、相手が自分の子供だと、その子供は母親が決めた価値観に一生懸命答えようとして、いつも母親の顔色をうかがいながら成長することになる。
完璧主義者は自分も辛い
相手に、「どうして出来ないの?」と完璧を求める人は自分自身も辛い。
些細なことでも
「失敗してしまった。」
「もーダメ。」
「自分は最低だ。」
と嘆いてしまったり、自分自身に怒ってしまう人もいる。
そして、内容によっては、失敗したことが他人に知られると恥ずかしいと思ってしまう。
他人が失敗談を話し出すと、
「そんなことは他人に話さない方がいい」
とアドバイスまでしてくる人もいる。
私はオープンなタイプなので、自分の失敗談を笑いながら話すことがある。
そうすると、
「自分の失敗談を他人に話すとバカにされるから話さない方がいい。」
と言ってくる人がいる。
そのように言ってくる人は、失敗した人を見てバカにするのでしょうね。
だから自分が失敗した姿を他人に見られた時に、
「バカだと思われた。」
と思ってしまい、自分を恥だと思ってしまう。
失敗すると1日がブルー
以前、このようなことがあった。
A子とある会場を出る時、タクシーで移動する予定だった。
フロントにタクシーの呼び出しをお願いしたが、「賜っていない」と断られたので、道で捕まえるか、近くの駅まで歩くことになった。
そして用事が終わり、会場を出た瞬間に、タクシーが入口にやってきた。
まさにピッタリのタイミングだった。
私は一緒にいたA子に、
「すごい!朝から順調だね。」
と言ったら、
「順調じゃないよ。●●さえなければ完璧だったけど。」
と渋い顔とともにそんな返事が返ってきた。
●●はほんの些細なことで、私たちが気付かず、会場に用意されていたドリンクを飲んでしまったこと。
そのドリンク代を請求されて200円を払ったことだった。
全財産が1000円しかない状態ならまだ理解できるけれど、そのことだけで、今日はもう完璧じゃない、と厳しい顔をしてしまうなんて、今日という日はまだまだあるのに。。。
そんなブルーの気持ちでいるなんてもったいないと思ったことがあった。
もちろん、会場サイドが大きな字で「有料です」とでも書いておけばよかったのかもしれないし、その方が正論だとは思う。
だけど、正論だけで生きていて「相手が悪い。もう今日は完璧じゃない。」と決めつけてしまうと、人生が辛くなる。
「ちゃんと書いておいてよ。けど、ドリンクは自分が飲みたいから飲んだのだし、喉も潤っておいしかったわ。」と思えばいいだけである。
周囲への圧力
完璧を目指して生きている人は、周囲の人達へ息苦しさを与えるものだ。
それがパートナーだったり、親だと最悪である。
特に母親の場合、子供へ与える影響は大きい。
トラウマになったりして、子供の人生へも影響を与えることにもなる。
子供は自分が原因だと思ってしまったり、親に憎しみを持つ場合もある。
そして、親はその仕組みを知らないから、助け方もわからないわけで、、、騒ぐようになる。
この負のスパイラルから抜け出すには、子供が原因に気がついて、自分で解決するしかない。
なぜ完璧や絶対を求めるのか
完璧や絶対を求める根っこに不安があるから。
不安で心配だから、不安や心配がない完璧を求める。
そして少しでも想定外のアクシデントが起こると完璧が崩れてしまう。
そして更に崩れないように完璧を求めてしまう。
このように完璧・絶対を求めているとハードルがどんどん高くなっていく。
すると、ハードルが高くなり続けるのでよけいに飛べなくなってしまう。
やがてハードルの前で挫折する日を迎えてしまうのだ。
「自分は何をやってもダメな奴。」
「人生はもう終りだ。」
などと勝手に決めつけてしまう。
だけど、全然終わりじゃない。
昨日も生きていたし今日も生きている。
お腹が減ればなにか食べたくなって食べ物をあさる。
トイレに行きたくなったらトイレへ行く。
ちゃんと生きている。
全然終わりなんかじゃない。
「大丈夫じゃない」は自分で勝手に決めた事。
そこに気がつけば完璧や絶対を求めなくなる。
自分と向き合う
人は他人のことをあーだこーだと評価する傾向にあるが、自分のことについては失敗したとか成功したとか、そのようなことでしか判断をしないものである。
「どうして、自分は完璧や絶対を求めるのか」と考察しない。
考察したとしても、目標にしているから、生活レベルを上げるために必要だから、クアイアントを獲得するために必要だから、の時点でストップしてしまう。
そこへもっと突っ込んで、どうして目標にしているのか、どうし生活レベルを上げたいのか、どうしてクライアントを獲得したいのか、を内観すると本当の答えに辿りつく。
それには、瞑想したり、紙に書き出したり、PCに入力をすることである。
まとめ
完璧や絶対を目指すと、達成できない度に完璧を目指すハードルが高くなり、どんどん辛くなる。
完璧主義者は真面目な人でもある。
だけど他人の真面目レベルは人それぞれ違うから、他人に求めると他人も苦しめることになる。
完璧を求める人の心の底には不安があるのだ。
不安があるから完璧を求めてしまう。
完璧をやめるには、自分は不安なのだと気づくことである。