出典:pixbay
「生きているのが辛い」という方へのアドバイスとして、「希望さえ捨てずにいれば、きっといいことがある。」とお答えしていた記事がありました。
辛くなる人生から脱出する方法
回答された人はこれで希望が持てるのかな?
私だったらどうだろう?
私だったらどう答えるだろう?
私だったら、励ましてくださってありがいと思うけど、この辛さを抜けせるわけではないと思ってしまうだろうな。。。
この瞬間だけやさしい言葉になぐさめられる、と受け止めると思います。
また、10代や20代だと、希望を持ち続ければ辛い人生から辛くない人生になるのだ。
とポジティブに受け止めるでしょうね。
だけど、60代や70代の人たちにもこの言葉を言えるのかといわれたら、躊躇してしまうかもしれません。
70代や80代で生きるのが辛いと言う人は、今までずっと辛かった可能性が大か、今になってとてつもなく辛い境地になってしまったのかもしれません。
というのも、人は色々な経験をすることで、自分の辛い感情を回避する術を身につけるものだからです。
自問自答する
私たちは感情で生きてしまうので、生きているのが辛いと思ってしまう場合は、まず最初に、
「どうして辛いのか」
と感情から離れて、自問自答すると解決への第一歩となります。
紙に思いつくことをすべて書きます。
すると、辛い原因がまったく辛くないことだと気がつくことがほとんどなんですよね。
- お金がない
- 彼や彼女がいない
- 仕事がない
- 痩せない
- 容姿がきにくわない
- 太っている
- 好きな人にパートナーがいる
- 不倫している
- 子供がいうことをきかない
- 人間関係
- 借金がある
- 健康が優れていないetc…
原因がわかったら、どうやったら改善できるのか、やり方を考え、調べ、助けが必要ならしかるべきところに相談へ行きます。
なにもしないまま、行動しないまま生きるのが辛いと言っていても仕方がないわけです。
もし改善すべき対象がなくて、なんとなくイヤ、今までいいことなんて一つもなかった、とうのであれば色眼鏡をつけているだけなのかもしれません。
同じ道を歩いていても、気持ちよく感じる人もいれば憂鬱に感じる人がいます。
小さな花に気がつく人もいれば、気がつかない人がいます。
環境や待遇が同じでも、人によって受け止め方ってちがうのですよね。
同じ環境なのに辛い人と楽しい人
以前、地方に勤めていたときの出来事なのですが、月に一度東京でミーティングがあって、先輩が出張していました。
ある日
「ミーティングに行きたくないんだけど、よかったら代わりに行ってくれる?」
「はい。行きます。」
とそれからは毎月私が出席するようになりました。
その先輩はその会議に出席するのが憂鬱でたまらなかったそうですが、私は毎月とても楽しかったです。
同じメンバーでの会議でも、参加者によって受け止め方がちがうものなのかとその時は思いました。
私はお世辞ではなくて本当に楽しんでいました。
それが先輩にとっては不思議だったようでした。
また、その先輩は出身高校をとても卑下していました。
「あんなレベルの低い高校出身で恥ずかしい。自分は最低だ。悩みのタネだ。」
ということを口にしていました。
確かに、その先輩の出身高校は偏差値が高い方ではなかったのですが、私の出身高校よりも上でしたので、なぐさめるつもりで、
「私なんてもっとレベルの低い高校ですから。」
と話したところ、
「比べられてもね。。。」
と、あんたなんかの低レベルの高校なんて論外、、、という感じでした。
ああ、私の通っていた高校は、そこまでレベルの低い学校だったのね、としみじみと思ったのでした。
確かに、在学中、クラスメイトたちはその高校の生徒であることを恥じていました。
ある時、クラスメイトの一人が、
「下着でバス停まで走ったら、すぐに卒業してもいいって言われたら、やる?私は絶対にやる!」
と言っていたほどです。
ま、制服でしたので、その制服を着ているだけで、
「私はお勉強ができません。」
と宣伝して歩いているようなものでしたからね。
私はノー天気で、お勉強が出来る人は別世界の人だと思っていたので、クラスメイトのその発言には
「へー。そんなにこの高校へ通うのがイヤなんだ。」
と思い。
私には、下着でバス停まで走るより、制服を着て3年生になって卒業したいと思ったのですよね。
私は父親の仕事の関係で、中学生のときは転校生で3つの学校へ通ったこともあって、入学から卒業までを一つの学校に通うことができる高校時代が楽しかったのですが、クラスメイトの多くは高校名を恥じていたためか、卒業後、同窓会が開かれることもありません。
私には辛くなかった高校時代ですが、クラスメイトたちにとっては辛い時代だったわけです。
人によって受け止め方はまったくちがいますが、その多くは、自分で悩み事を作り出しているものです。
ハッピーに見える人なのに
女優の浅野温子さんは、バブル時代に人気が爆発しました。
その時代を知らない世代でも、『あぶない刑事』ならご存知の方もいると思います。
ドラマ『抱きしめたい』で共演した浅野ゆう子さんとW浅野で人気を博しました。
石田純一さんが有名になるきっかけになったドラマでもあります。
本木雅弘さんも出演されていて、今でも豪華なメンツですね。
このドラマに魅了された友人は、遊びに行くたびに「テレビ何見る?」と尋ねると、毎回「抱きしめたい!」と言い、彼女は100回以上このドラマを見ていたと思います。
それくらい大人気のドラマでした。
さて、その浅野温子さんですが、雑誌で
「生きるのが辛い。」
と語られていたことありました。
今現在もそのように思われていらっしゃるのかはわかりませんが。。。
キレイでかわいくてチャーミングで男性からもイイ女と評判で、今も現役で女優のお仕事をされて、若いうちにご結婚もされ、息子さんは地方のNHKのアナウンサーをされてこれまた評判がイイとかで、浅野温子さんご自身も業界内でも評判がよいようで、友人が仕事で業界の方とお話しする機会があったときに
「あっちゃんは本当にいい人だよ。」
と褒めたたえていたそうです。
その時、友人はいただいた浅野温子さんのステッカーを私にも郵送してくれたのでした。
またかつて実家が渋谷だった同僚がいたのですが、当時(今は知りません)代官山にお住まいだった浅野温子さんをスーパーで見かけたそうで、後ろ姿がメチャクチャスタイルがいい女の人がいると思って顔を見たら浅野温子さんだったと話してくれたことがありました。
芸能人のなかには、テレビと実物とが違いすぎてがっかりする人もいるのですが、浅野温子さんは実物もおキレイなようです。
欠点がなさそうなのに、なにがそんなに辛いのだろう?
と思ってしまいそうですが、人の心の内はわからないものです。
生きるのが辛いと言っていたのに、いつもニコニコと笑顔でいらっしゃるのもステキです。
最後に
ひと言でいうと「生きるのが辛い」と言っても救ってくれる人なんていないんです。
辛いと思う人生を、自分自身で少しは楽しい人生に方向転換するしかないのです。
「希望さえ捨てずにいれば、きっといいことがある。」
は相談を受けた人が言える最大の慰めの言葉で優しさです。
その言葉を受け止めたら、自分で辛いことを書き出して、解決します。
ほとんどの辛いこととは自分で作り出しているものです。
作り出した辛さは、他人と比較したものがほとんどです。
他人と比べて作られた辛さって、他人の物差しですよね。
そこには自分の軸がないわけで、他人の人生を歩んでいるわけですね、だから辛くなるわけです。
他人と比較することなく、自分自身の人生を歩みはじめると周りの状況も人々も違って見えてくるから不思議です。
かつて私も中学生時代に、「この世に神はいないのか。。。」と泣いたこともありましたが、神に頼っているようではダメなんですよね。
まずは自分自身を見つめて、解決策を探して、助けが必要なら人を求めることもありです。
ベートーベンは
「神に頼るとはなんたることだ。自らの力で自らを助けたまえ。」
と明言を残しています。
「希望さえ捨てずにいれば、きっといいことがある。」は優しい慰め、そこで止まるのではなくて前進することが大切だと記事を読みながらそう思いました。