夢を叶えるサポーター、夢ソムリエです。
今日は2018年1月2日のお正月です。
お正月は新鮮な気持ちで一年の抱負をもつ人も多いと思います。
その抱負の中には、「幸せになりたい」と期待に胸を膨らませている人も多いのではないでしょうか。
今日は、その『幸せ』について書くことにしました。
幸せになる方法
人は幸せになりたいものです。
ところで、幸せといっても、その定義は人によって様々だと思います。
なにをもって幸せだと感じるかは、十人十色なわけですよね。
物理的なことで幸せを感じる人もいれば、精神的なことで幸せを感じる人もいますしね。
自分にとっての幸せを考える
まず、自分にとって、幸せとはどんな状態なのかを考えることだと思います。
ある商品を買うことが幸せだったり、笑顔でいることが幸せだったり、他人と一緒にお喋りすることが幸せだったり、旅行へ行くことが幸せだったり、親孝行することが幸せだったり、人の笑顔を見ることが幸せだったり、プロポーズされることが幸せだったり、等々、自分が幸せだなーと思えることをアウトプットしてみるとわかりやすいです。
それを踏まえて、以下を実践すると幸せに近づきました。
他人との比較をやめると幸せに近づく
上述した、自分にとって幸せな状態だと思うことをプットアウトすると、自分にとって本当に心の底から欲しいものなのかがわかります。
そのために書き出すわけですね。
書き出したものを自分が持っている場合、またはその状況にあることを想像してみると幸せなのか、それほど幸せだとは思わないのかがわかります。
今まで幸せだと思っていたことが実はそれほど幸せじゃない、と気づいたりします。
その場合、その物事はTVや他人からの影響でそれを持つと幸せ、その状態だと幸せだと錯覚しているのです。
お隣の芝生と比べてしまっているわけです。
お隣さんが幸せそうに見えるのは、一戸建てに住んでいるからだとか、お正月に海外旅行へ行けるからだとか、自分で勝手にお隣さんは幸せだと決めつけているからです。
他人と自分を比較しはじめると、常に比較するクセがついてしまいます。
そして比較には、うらやましい、みじめ、嫉妬、憧れなどの感情があります。
ですが、比較する自分を責めることはないのです。
だって、私たちは子供の頃から学校、両親、ご近所からも他人と比較するように育てられてきたからです。
ですので、大人になった『今』そのことに気がつき、他人と比較することをやめればいいだけ。
比較しつづけるのも、比較を止めるのも自分次第です。
他人との比較を止めることで幸せな状態へ近づきます。
他人と比較しながら生きることは他人の人生を生きることなので。
自分の人生を生きることで幸せに近づくことができるわけです。
わくわくすることをすると幸せに近づく
他人との比較をやめる方法は、わくわくすることをすることです。
スピリチュアル系では、10年位前から、わくわくすることをしましょう!
とよく言われていましたが、わくわくって私にはよくわかりません。
わくわくと聞くと、楽しくて笑顔いっぱいってイメージですが、いつもそんなマックスな状態ってないと思います。
私が思うわくわくとは、自ら何かに集中している状態です。
「やらされている」ではなくて、「自らやりたい」と思ったことをしている状態です。
1日のうち、自らやりたいことをしている時間ってどのくらいでしょうか?
ほとんどの人は「やらされているなー」「やらないとダメだし」と思う時間の方が多いのかもしれません。
「やらされている」「やらないとダメ」を「自らやりたい」気持ちに切り替えることでわくわくに変わります。
例えば、家庭のある父親が仕事で辛いとき「誰のおかげでご飯が食べられると思っているのか?」などと妻子に対して言うことはなくなるし、料理嫌いな母親がいやいや家事をすることもなくなります。
仕方なく家事をしていると「家族のために犠牲になった」などと見返りを求めてしまいがちですからね。
見返りを求めるということは、そこに他者が介入することになるので、幸せを感じるのは難しくなるわけです。
感謝の気持ちを持つと幸せに近づく
私たちは欲張りなので、ないものを欲しがるものですよね。
これは仕方のないことで、原始時代から食べ物を欲し、安全を欲し、戦後も食べ物を欲し、物質を欲し、お金を欲してきたので、身に染みついてしまっていますから。
ですが、欲しがるばかりでなくて、今ある状態に感謝する気持ちが幸せ感につながります。
食べることができるのも、先人たちのおかげですし、今、命があるのも先人たちが過酷な環境で生き抜いてきたからだと思うと、感謝しかありません。
現代人は、寝て起きるとまた一日がはじまり、一年があっという間に過ぎ、いいことないかなーと願うことの繰り返しだな、と思いがちですが、先人たちは一日を生き延びるだけでも大変だったことは想像できます。
今の私たちの命があるのは彼らが生き延びてきたおかげです。
毎日の暮らしの中にも感謝がいっぱいあります。
コンビニに並んでいる食べ物や品物も、誰かが作ってくれたわけで、運んでくれた人がいて目の前に並び、コンビニの経営者がいるから手に入るわけです。
感謝というと、両親や日頃顔を合わせる人達や先祖あたりしか思い浮かばないものですが、顔も知らない人達のおかげで今日の私が存在することができていると思うと感謝しかありません。
感謝の気持ちでいっぱいになると心が満たされます。
そうすると、「幸せになりたい」という気持ちが薄れていくのです。
幸せになるとなくなるもの
上述した3ステップの先には心が満ちた状態がまっているようです。
心に隙間がなくなった状態です。
そうすると不思議なことに「幸せになりたい」と思わなくなるのです。
「幸せになりたい」とは、心になにかがかけていて、それを「幸せ」という希望で埋めようとする気持ちの現れなのかもしれません。
まとめ
人は幸せになりたいと思っているものです。
その幸せになる方法について取り上げました。
- 他人と比較しない
- わくわくすることする
- 感謝する
この3つを実践していくと幸せに近づきます。
3つとも自分自身でできることですが、今までの習性を変えることは難しいので思うようにできないかもしれませんが、日に一つでも実践していくと徐々に変化が出てくるものです。
途中で他人を批判したくなることも出てきます。
批判せずにはいられない出来事が起こるものです。
それが人生というものです。
私たちはそのように学んで成長するようになっているみたいなのです。
やみくもに批判するのと「批判したくなる。」と気がつくことは違います。
気がついたこと時点で学んでいますので。
わくわくすることをしている時、他人を批判する余地はありません。
わくわくすることができること、そのような環境があることは自分一人の力ではないことの方が多いものです。
私がこうしてブログを書けるのも、PCがあること、ネットがあること、など条件が整っているからです。
ですので感謝なわけです。
「幸せになりたい」と思わなくなったとき、それは、「幸せな状態」。
みなが幸せになりたいと求めなくなったら、世の中は幸せな人であふれて、人を批判する人もいなくなるし、各自がわくわくすることを楽しんでいるし、感謝であふれた世界になるのだと思います。
それが平和な世界なのかもしれません。