このブログでは、日々気が付いたことについて書いているけど、今日は、自然について書いてみようと思う。
というのも、今日は久しぶりに東京は太陽さんが顔を出したので、これまた久しぶりに写真を撮ったから。
太陽さんは雲の中に隠れていたけど、写真にはしっかりと写っていた。
しかも周りはピンク色。
肉眼では雲の中にいて見えなかったのに、写真に写るなんてはじめての経験。
しかも、すぐにもう1枚撮ったけど、それには太陽さんは写っていなかった。
さて、自然についてだけど、以前聞いたことで意味が分からないことがあって、、、それが分かったお話。
私はこのように、最初聞いたときはわからなくて、数年後に分かることがある。
この日記でもそういう内容のことを書いているわけだけど、今回取り上げることは、以前に、
「本などを読んだり勉強などをするよりも、自然の中にいる方が物事が分かるようになる。」
ということ。
自然は教えてくれる
その方は、とっても博識で色眼鏡もつけずメディアにも振り回されず、物事の真実を冷静に見ることが出来る人。
そのような方が、本や勉強より自然をすすめることがその時には分からなかった。
仙人が山にこもるのはなぜ?
そういえば、仙人と呼ばれる人たちは人里離れた山などに一人でこもって瞑想したり修行をする、というイメージがある。
それは、単に、都会だと集中できないとか、娯楽などの誘惑が多いから静かな自然の中で修業に励むのかな、と思いがちだけど、理由はそれだけではない。
自然の中にいると、物事を見る目が養われるから。
それはどういうことかと言うと、私たちが住む世界や宇宙は自然のサイクルで流れているから。
自然に身を置くことで、木や枝を見たり、風の流れを見たり、雲の動きを見ていると、そのサイクルが見えてくるのだ。
自然のサイクルは一つが切り離されたものではなくて、すべて繋がっている。
雨が降って川や海へ流れると、それが温められて水蒸気となり雲になり、また雨へとつながる一連の流れがある。
そこには、太陽も土も風も参加している。
いわゆる、四大元素の水、土、風、火だ。
フィフスエレメント
映画『フィフスエレメント』のフィフスにはこの四大元素が含まれている。
5つの要素で地球は救われる、という内容。
生物が生きているためには、四大元素はとっても大切なものなのだ。
自然の中に身をおくことで、生命に大切な四大元素を感じることができるようになる。
山を眺める
小説『悪魔とプリン嬢』(著書パウロ・コエーリョ)には、毎日、家の前に椅子を出して、ずっと山を眺めている未亡人が登場する。
彼女は、他の人達が気にも留めないことから気づきを得ることができるようになり、三年後には、他人の気持ちを見ることが出来るようになった。
住人たちのあいだでは魔女とささやかれた。
住人たちは、彼女が夫を亡くして家に閉じこもっている間に魔術を覚えたにちがいない、と思っていたが、彼女は家の前で椅子に座り山を見ていただけだったのだ。
本来の自分へと戻る
山にこもってひたすら自然を眺める生活は、実際にはむずかしいと思うけど、TVを見たり、ダラダラとした日常生活の中から自然と触れ合う時間を作ったり、お休みの日や、街を歩きながらでも木を眺めたり、空を眺める習慣をつけると真実を見通せる自分へ近づける。
真実を見る力がつく、ではなくてそんな自分へと戻っていくのである。
かつては誰もが真実を見ることができたから。
子供にはウソは通用しない。
大人は、子供の面倒をみるため未熟な存在だと思っているが、真実を見る目を持っているのである。
私たちは小学校へ入学し、徐々に、真実ではなくて色眼鏡や他人や周囲の影響で物事を見るようになる。
毎日仕事で追われ、日常生活で必要なことをこなし、友人たちとお喋りしたり、そうやって毎日が過ぎ1年が過ぎて行く。
気がつけば、真実を見られなくなってしまっている。
真実を見られる自分へと戻るとストレスも減る。
不安がなくなり安心感が湧いてくるから。
木さんと鳥さん
この写真はベランダから撮ったもの。
その公園には木さんが3本立っている。
本当は、ちがう木があったけど、東北震災後に公園が改造されて、その木は伐採された。
伐採される前、その木には
「○月○日に伐採します。」
と書かれた紙が首輪のように巻きつけられていた。
それを見て、ぞっとして悲しくなった。
ま、まるで死刑を宣告されて見せしめになっているような印象がしたから。
公園のスペースは同じなので、伐採せずにこのままでいいのに!と強く思った。
伐採する日が徐々に近づいてきて、ついにその日になってしまった。
「もう伐採されてしまったのかな…。」
と仕事を終えてから急いでその木へ向かっていた途中
「私はまだいますよ。」
とその木から想いが飛んできた。
到着したら、やっぱりまだ伐採されていなかった!
予定より遅れて伐採された。
その後、そこにはマンホールのようなフタがかぶせられた。
そして現在は3本の木があり、今年、その1本の木さんで巣作りをしてた鳥さんの巣から一羽の雛が落ちてしまい、偶然にも隣の老夫婦が拾い自宅で育てた。
2週間後、自然に返そうとしたけど、戻ってきてしまった。
この小鳥ちゃん。
隣と間違えて「お家へ入れてー」と我が家のベランダへやってきた。
あれれ、隣だったかな~・???
これから夜になるので、保護した方がよさそうだと思い窓を開けたら、待ってましたとばかりに部屋の中へ入ってきた。
隣の老夫婦へ引き渡し、それから1週間後、その雛は育ての親から旅立って行った。
こんな住宅地の中にある木さんにも、鳥が巣をつくり生命を育んでいるのだな、と思ったらその木が母のように、地球のように感じた。
ちなみに、反対側にも木さんがいくつも立っているけど鳥さんはいない、真横が駐車場だからなのかもしれない。
まとめ
自然の中に身をおくと、真実を見ることができる自分へと戻っていくことができる。
子供の頃には当然のことだったのに、大人になるにつれて色眼鏡がついて見えなくなってしまった私たち。
そして、真実が見えるようになると不安がなくなるのでストレスも感じなくなる。
世間では、そのことをうっすらと感じているかのように、遠回しに、自然の中にいるとリフレッシュするなどという。
かなり昔だけど、女優の秋吉久美子さんが、
「木に抱きつくと元気をもらえる」
とTVで発言していたことがあった。
当時は笑われていたけれど、最近では実践している人もいる。
小説家で森づくりをされているC・W・.ニコルさんは、病弱だった子供の頃に、祖母から、
「毎日森へ行って木を抱いてごらんなさい。」
と言われ実践した結果、たくましくなられたとか。
私もたまーに木に抱きつくけど、毎日というわけにはいかない。
最近は、毎朝ベランダから目の前の木さんへ挨拶をしている。