スピリチュアルという言葉が広く知れ渡るようになって、前世などの過去世に興味を持つ人も増えたように思う。
今を生きるうえで、過去世とどのように関係しているのか、そしてカルマなどについて考えたことがあった。
私たちは生と死をくりかえしている?
私たちは、生まれたらいつかは死を迎えることは誰でも知っている。
けど、その後、どうなるのかを当たり前の様に知っている人はいない。
宗教家やスピリチュアルな人達のあいだでは、
『人は、生と死を繰り返す』と言われている。
肉体は死んでも魂は死ぬことなく、また生まれ変わるという説だ。
転生を信じる派と信じない派
キリスト教では、人生はだたの一度きりだといわれているため、前世や過去世という発想自体がないが、仏教では輪廻転生という考えがあり、古代エジプトの壁画でも生まれ変わりが信じられていたことが伺える。
輪廻転生とは
輪廻とは、車輪のような無限を意味し、私たちは無限に生まれかわる。
という意味。
仏教には六道輪廻という考えがあり、六道とは地獄・餓鬼・畜生・人間・修羅・天の6つの世界を指す。
つまり、私たちは、この6つの世界をぐるぐると転生しているという意味だ。
私たちはこの6つの世界から抜け出すために転生を繰り返している。
そして釈迦は抜け出した人物だといわれている。
だからもうこの世に生まれてくることはないのだ。
抜け出たらどこの世界へ行くのか?
については長くなるので、また次の機会に書くことにする。
輪廻転生の思想
人がこの世に生を受けるのは、六道を繰り返し生きて、抜け出すことだということは結構簡単に理解できる。
だけど、ちょっと疑問に思うこともある。
それは、現世で恵まれた環境で生まれ育ち、暮らしている人は、前世での行いが良かったから。
反対の人は、前世での行いが悪かったから。
というもの。
だから、現世で徳を積みなさいとか、良い行いをしなさい。
という考え。
来世とか関係なく、良い行いをするのは当然のことだと思うのだけど。
インドでは輪廻転生が悪用された!?
インドでは、そもそも輪廻転生の思想があり、それがカーストに取り組まれて悪用されたそうだ。
下位のカーストに生まれた者は、前世で悪い行いをしたのだから自己責任だ。
ということ。
輪廻転生を信じているインド人たち
以前、インドを訪れたとき、車窓から見えるインド人達の光景が不思議に思えたので、現地のインド人に訊ねたことがあった。
平日だというのに、家の前でサマーベッドのような上に寝転んでいる大人たちがたくさんいたから。
私は車の後席に乗っていたので、ずっと窓から外を眺めていた。
目に飛び込んでくるのは、大人たちが寝転んでいる姿ばかりだったのだ。
わたし:「どうしてあの人たちは平日なのに家の前で寝転んでいるのですか?平日なのに仕事はお休みなのですか?」
インド人:「輪廻転生を信じているからです。インドでは小学校から大学まで無償なので、自分が頑張ろう、と思えば学ぶこともできるんです。だけど、輪廻転生を信じているので、来世で頑張ればいい、と思っているんです。」
カーストの下位に生まれたのは過去世のせい。
頑張るのは来世でいい。
という考えに至ってしまったのだろう。
輪廻転生をカーストに取り組んだ人々にとっては成功したと言えるのではないか!?
カルマや過去世を気にすると幸せになれない!?
カルマとは、前世での悪行であり、現世で苦労するのは、カルマがあるからだと言う説がある。
お坊さんやヒーラーさんの口から、この言葉を聞くことが多い。
例えば、身体が不自由だったり、貧困な地や戦争が絶えなくて難民として生きる道しかない人々は、前世で悪い行いをしていため、カルマを持っているからだ。
と言うのだろうか!?
これは、先ほど上述したインドのカーストと同じ考えではないだろうか。
個人的に、この考えには疑問があって、考察した結果、私なりのある考えに至ったため、カルマのせいではないと思っている。
(私の至った考えについては、機会があれば別途書こうと思う。)
カルマや前世を気にするのは過去を生きること
私たちが何かを得たいとか、こうなりたい!
と思ったら、そのことにフォーカスすることが大切だ。
ダイエットをしたい、と思ったらダイエットすることにフォーカスをする。
そうすると、運動をしよう、食事は腹八分までにしよう、スイーツをやめよう、油ものを控えようなどと行動する。
ダイエットをしようと思っているのに、スイーツばかり食べているようでは、フォーカスしていないことになる。
フォーカスがずれていると目標へは辿り着けない。
これと同じで、殆どの人は幸せになりたいと思っているものだ。
その過程で、カルマや前世のことを知り、今苦労しているのはカルマがあるからなどと思ってしまうと、過去にフォーカスすることになり、今、幸せになりたい、と思っていることからずれてしまう。
釈迦は今を生きろと言った
釈迦は考えてもわからないような物事にとらわれないで、今、ここにある日常生活を生きることを説いた。
釈迦は仏教の開祖だといわれているけど、私のなかでは、宗教家という存在ではなくて、この世での生き方を自ら実践して示してくれた人。
だと思っている。
カルマの考えから抜け出したい
仮にカルマがあったとしても、前世の記憶もないのに、その悪行に振り回されることなんてない。
それに、『今』にフォーカスして生きるのなら、カルマは自然に解消されるはずだ。
だから、カルマや前世を気にするのではなくて、『今』を生きることが大切なのだ。『今』を生きることでカルマが消えると思えばいい。
そのうち、カルマにとらわれなくなるはずだ。
カルマを気にする人に幸せな人がいない
以前、まだカルマってあるんだ~、と思っていたころのこと。
ケガをした時に、「ケガになったのでカルマが解消できたのかも」と引き寄せの法則などに詳しそうな人に話したことがあった。
けど、その人から、
「カルマとか、過去世とか気にしなくてイイよ~。気にしている人に幸せな人がいないからね。」
と言われたことがあった。
言われた時はピンとこなかったけど、つまり、過去にフォーカスして生きていて『今』を生きていない。
ってことなのだとわかった。
とにかく『今』を生きる
自分なりに考察した結果、カルマ(過去世での悪行)なんてないし、過去世なんて気にすることなんてない。
そんなことに頭や時間を使うより、『今』をどのように生きるのか、が大切だということに至ったのだった。
過去世を知ることは問題ないけど、それにとらわれていると『今』を生きることにならない。
カルマを信じていたら、そのカルマを引き寄せてしまうことになるのだ。
私はかつて、退行睡眠(ヒプノセラピー)を受けたことがあり、自分の前世にも興味があったけど、実際に受けてみて、何かが変わったとか、そんな実感はなく、前世でそのような暮らしをしていたんだ~、と思った程度。