以前、「信じる」について友人と語ったことがあった。
信じる者は救われるという言葉もあるが、
私が「人のことは信じない。」と言ったら、
「そんなのはダメだ!」とすごい勢いで返されたことがあった。
それから、延々と信じるについて論じることになった。
私が人のことは信じない。
と思っていたのは、
信じるとか信じないにこだわっていなかったから。
よく、信じていたのに裏切られた、信じていたのにあんな人だとは思ってもいなかった。
などのセリフを聞くことがあるけど、信じていなければ、そのようなことが浮かぶことはない。
そららのセリフって、自分を正当化しているというか、自分に落ち度はない。
という気持ちを含んでいるような気もする。
だからかな、私は相手のことを信じるとか思ったことがない。
人の心は固定されるわけではないし、雲のように流れるものだ。
風に流れて動いてしまった、消えてしまった雲に、どうしてそのままの形でそこにいないの?
信じてたのに、、、などと言う人はいない。
だけど人に対しては言っちゃうんだよね。
そんな私は、ある場面では、信じるという言葉ではなくて、もっと確実な言葉を使う。
誰もが知っている言葉
それは、「知っている」という言葉。
これは相手に期待する意味を含んでいないし疑いもない。
信じるには疑いの気持ちが含まれている。
本当に心の底から相手のことを信じているのであれば
「あなたのことを信じている。」
とは言わない。
信じたいきもち、相手への期待が含まれている。
それに比べて「知っている」は最強だ。
例えば、「夫が浮気しないと信じている。」より「夫が浮気しない人だと知っている。」が断トツで最強。
信じている、は夫が浮気するのではないか、という不安があるけど、知っているには不安がない。
別の例えでは、子供がなにか問題を起こしたとき、「そんなことしない子だと信じているから」、というより「そんなことしない子だと知っている。」の方が最強だ。
信じている、はひょっとして、という気持ちがあるけど、知っていると言われると、親に100%信用されているという安心感がある。
知っているを活用
私はあなたが純粋な人だと知っている。
あなたが懸命に頑張ってきたことを知っている。
あなたが幸せな人だと知っている。
あなたが一人で涙を流したことを知っている。
あなたがパートナーと出会うことを知っている。
あなたが結婚することを知っている。
あなたが私のことを愛していると知っている。
「知っている」は色んなことに使える最強の言葉。