年齢が若いということがもてはやされる日本では、20代後半にもなると、もうおばさんだとかもう若くないと言い出す人がいる。
妙に焦ってしまったりとか。
もうこの年齢だからダメかな、とか、あと10才若かったら、などと思ってしまったり。
だけど、体力的なことは別だけど、人はいくつになっても変わることができるのだ。
今日ラジオ番組に芳村真理さんが出演されていて、
「私は生まれ変わった。人は変わりたい時に、いつでも変わることができる。」
と仰っていた。
現在81才の方からこのような言葉を聞いてとても励みになった。
そして、現在もとってもオシャレで美しさは健在だ。
人は変われる
私は過去を振り返るとか、あの時に戻りたいとか、あと何年若かったら、などと今まで思ったこともなかったけど、最近、はじめて後10年若かったらいいな、などと思う時があった。
そして、年齢なんて関係なく生きてきたけれど、さすがに年齢も気にかけるようになっていた。
そのためか、今日の芳村真理さんのお話しを聞いて、励みになった。
「今までも楽しかったけど、これからの人生がとっても楽しみ。」
とめちゃくちゃ幸せそうな声で仰っていた。
魂が生まれ変わったような感じだそうだ。
芳村真理さんでどんな人?
どんな方なのかずっと謎だった。
かつて、『夜のヒットスタジオ』という歌番組で司会をされていて、男性の隣に毎回ファッショナブルないでたちで、自然体で司会されているのを見て、どんな人なのか何者なのか疑問だったのだ。
私の疑問はそのままで、しばらくしてメデイアで見かけなくなったと思っていたら、最近またちょこちょこと見かけるようになった。
そして今日のラジオ番組『久米宏ラジオなんですけど』で、その疑問がはれた。
明るくてさっぱりとされて自然体の方だな、と思っていたけれど、それは今日のラジオからも伺えた。
「高校は自宅から3分以内の学校に通っていたので、チャイムが鳴り始めてから自宅を出ても間に合ったのよ。だって、名前が『よ』だから最後の方に呼ばれるから。」
「戦後だったため、家計のために仕事をしなきゃいけなかったら、高校3年生になったら学校には通いません。と言ったの。」
と明るく語っていた。
そして近所にあったグンゼの男性用の靴下を百貨店で紹介する仕事をはじめたそうだ。
当時は、デパートガールと呼ばれていた。
売上がよかったらしく、銀座のあちこちのデパートでデパートガールの仕事をしたそうだ。
デパートで仕事をしていた当時、ファッションモデルが日本にはいなくて、ちょうどモデルという仕事が日本でも広まる直前だったそうで、面接に行き採用されたとのこと。
モデルをしていた時、頭の形が日本人離れして格好良かったらしく、ここでもたくさん仕事の依頼がきたそうだ。
その影響が夜のヒットスタジオでのヘアセットにも活かされていたとお話しされていた。
その後テレビの世界に登場したそうだが、当時のTV番組はすべて生番組だったことから、歌番組の曲と曲の間のつなぎに無言でカメラに映っている役だったが、そのうち、曲紹介をやらせてみようか、とのことで曲を紹介するようになったそうだ。
その後、番組に起用されるようになり、夜のヒットスタジオなどの司会をされた。
お話し中もとっても明るくてさっぱりしている印象だった。
高校時代、家計のために、3年生になったら仕事するので学校には行きません。
とお話しされていたときも、いやいやだとか、苦労したわ、というような口調ではなかった。
そして、仕事もとっても楽しかった。
今でも生放送が大好きだとか。
芳村真理さんの夫は?
芳村真理さんのような女性がお付き合いをされる男性は、どのような方なのか気になるものだ。
大物男性とご結婚されているとは思っていたが、それだけではなかった。
最初の結婚はミッキー・カーチスさん。
息子さんを出産後、2年後に離婚。ミッキー・カーチスさんは、日本人とイギリス人の血をひく、ロック歌手、タレント、俳優であると同時に、作詞家、華道家、落語家とマルチな才能をお持ちの男性。
趣味も多く、射撃、モータースポーツ、オートバイ、宇宙研究、彫金、養蜂で、オートバイショップを開いていたこともあったそうだ。
現在は、タイのプーケットへ移住してカフェを営んでいる。
現在78才、「いくつになってもやりたいことがたくさんあってありがたい。」とのこと。
結婚生活は短かったけど、何歳になっても人生に希望をもち生き生きとしていらっしゃる芳村真理さんと共通点があるなと思った。
ミッキー・カーチスさんと離婚した2年後に、これまた大物男性と再婚。
実業家で、日本ポラロイド、キヤノン取締役、カルティエ・ジャパン社長の誰もが知る会社の重役を歴任された男性。
アーティストや実業家の男性の妻になる女性はやっぱり違うものだ。
ファッション界から自然活動まで
芸能活動をやめたのは、夜のヒットスタジオの出演者たちとギャップを感じたから。
ジャニーズ事務所の光GENJIが本番前に「ちわ~、よろしくおねがいしま~す」と挨拶をしてきたとき、「あ、これはもう私の世界ではないわ……やめよう」と決めたそうだ。
芸能活動を休止後、セレブ妻をされていたわけではなく、NPO法人MORIMORIネットワークの副代表理事として森林の育成活動を行っている。
政府系のラジオのパーソナリティーをしていた時に知り合った方のきっかけで、
「人間ってやっぱり自然には勝てない。自然との共生を真剣に考えたい」
出典:ISEC NEWSLETTER
と思うようになり自然林についてなど講演をされていた。
「結局、大人も子どももロビンソンクルーソー体験をしたときに、初めて自分らしさに目覚めるというか、『自然の癒しの中で本当に素直になれる』ということね。」
出典:ISEC NEWSLETTER
とも仰っている。
2013年にお腹に動脈瘤を発症したが大事には至らなかったが、その時に、このように思ったそうだ。
「見つかって、まずよかったと思って。じゃあ、どうやったらいいの?今後。危険は何なのか、どんなことに気をつけなきゃいけないのか。それもこれも含めて、新しく生きてみよう。全然違う、新しいものを探せると、気持ちが切り替えられた」
出典:デイリースポーツ
その結果、
「人って変わる。幾つになっても変われる。私すごい、変わった」
出典:デイリースポーツ
と思い、これからの人生も楽しみにしているとのことだ。
今日のラジオ番組からも、その楽しさが伝わってきたほどだ。
そして、自分が変わると周りもかわると述べていて、
「自分が変わると、不思議ねぇ~。そばにいる犬まで変わってきちゃう」
出典:デイリースポーツ
と別の対談番組でお話をされていた。
まとめ
今日、偶然聞いたラジオ番組から芳村真理さんのお話しを聞いて、
「生まれ変わった。人は変わりたい時に、いつでも変わることができる。」
と明るく語られた言葉に惹かれたのと、子供の頃から自然体で司会をしているめちゃくちゃオシャレなこの女の人は何者なんだろう?
と疑問があったこともあり調べてみたら、やっぱりすごい方だった。
森林の育成活動をされていたなんて、想像もしていなかったのでおどろいたけど、自然の癒しの中で本当に素直になれるとかつてのインタビューで仰っていたことにとても共感したし、いくつになっても人は生まれ変わるという言葉を81才の方からお聞きするのもとっても励みになるし説得力もある。
だから、20代後半や30代くらいでもうおばさんだとか思ったり、夢をあきらめることもない。
以前、60代だった知人女性が、
「30代、40代なんて、まだまだ小娘だわ。小娘が何言ってるのよ。女の喜びは60代からよ!」
と大笑いしながら語ってきたことがあったな。