今週のお題「お気に入りのスニーカー」
日記を書こうと思ったら、
今週のお題が目に飛び込んできました。
今まで参加したことないし、
お気に入りのスニーカで記事書くことないなー
と思っていたら、ありました!
私にとって強烈な驚きでしたが
学びもありました。
スニーカーの想い出
社会人になってからは、
ヒールの靴を履くことが多くなったので、
スニーカーは旅先やピクニック、
重い荷物を持つ時用になりました。
なので、普段は履く機会が減りましたが、
スニーカーの想い出はいくつかあります。
つま先靴下を自作した人
今では、つま先だけの靴下は
当たり前のように売っていますが、
その昔、つま先だけの靴下は売っていませんでした。
靴下と言えば、くるぶしの上か
ハイソックスだけでした。
その後、くるぶしの下までの靴下が
販売され、その後、つま先靴下が販売されました。
そんな時代に、
職場の先輩は
「どーしても白いスニーカーが履きたい!」
とわめき出したんです。
季節は、ちょうど3月くらいで、
スニーカーを素足で履くにはまだまだ寒い季節でした。
「ストッキングじゃダメなの!」
「素足じゃないとダメなの!」
先輩は絶対に素足に白いスニーカーを履きたくて
あきらめきれず、
ついに、自分でつま先だけの靴下を作ったのです。
作ったと言っても、普通の靴下をカットしただけでした。
先輩は得意げに、つま先靴下を作ったことを
報告しにきたのでした。
「えっ!靴下を切った?」
そこまでして、素足で白いスニーカを
履きたい先輩に驚くとともに
つま先靴下を作るなんて想像もしなかったので
とっても驚いたんですよね。
それから数年後、
つま先靴下が店頭に並んで
売れているのを見たとき、
その先輩を思い出しました。
あの先輩、
あのとき、売り出して特許をとっていたら、
商売になっていただろうなー。
だけど、先見の目が早すぎて
その当時は売れなかったかもしれませんけど。
解決策がない。
と思ってしまいがちですが、
人間、土壇場になると思わぬひらめきが湧き出る
と聞きますが、まさに目の当たりにしたのです。
また、自分があったらいいなー
と思うものって、自分以外にも
欲しがっている人がいることを学びました。
私のお気に入り歴代スニーカー
私にも中学時代から
お気に入りのスニーカーがあります。
破れて穴が開いたスニーカー
中学時代、バスケ部に所属していた時があるんですが、
その時履いていたハイカットのバスケットシューズがお気に入りで
ボロボロに破れても履き続けていました。
穴が開いていましたが、
その当時は、それもカッコイイなんて思って
気に入って履いていたのですが、
母親にみっともないと言われるまで履き続けた思い出があります。
お気に入りだけど履けなかったスニーカー
社会人になってから、
見た目に惹かれて買ったスニーカーがあったのですが、
履き心地が悪くてがっくりしたスニーカーがあります。
もちろん、試し履きをして買ったんですが、
いざ履いて外出したらめちゃくちゃ歩きにくい!
私の足にあわない。。。
紐をしっかりと結んでも、
歩くたびに踵がスニーカーから脱げてしまう。。。
緑と白のコントラストで、
オシャレだなーと思って買ったんですが、
眺めるだけで終わったスニーカーです。
コンバース オールスター キャンパス ハイカット
今のお気に入りのスニーカーは、
コンバースのオールスターのハイカット、
オールブラックなところも気に入っています。
気に入っているけど、
私にはお洒落に履きこなせないんです(^^;)
スニーカー美人
スニーカーが似合う女性を
スニーカー美人と名付けている私ですが、
私が思うスニーカー美人とは、
まずは足が長いこと。
ヒールは疲れるので、
スニーカーで颯爽と歩いている女性を見ると
かっこいい!です。
特に、雑誌でニューヨークの街角を
スニーカーで出勤している女性などを見ると
素敵!と思ってしまいます。
コンバースのオールスターのハイカット、
をスニーカー美人が履くと
とってもお洒落で素敵です。
私も真似したいけど、
似合わないんですよね。
最後に
スニーカーと聞いて
私の頭に浮かぶのは、
まだ肌寒り季節に
素足で白いスニーカーを履きたいから、
という理由で、世の中につま先靴下がない時代に、
つま先靴下を自作した先輩のことです。
その時代、生足という言葉もありませんでした。
だけど先輩は、
ストッキングじゃダメなの!
素足じゃないとダメ!
と言い張り、つま先靴下を自作したのでした。
私には靴下をカットして
つま先靴下を自作するなんて
発想はなかったので、
驚きすぎて声が出ないほどでした。
先輩にとっては、靴下をカットしてまで履きたかった
お気に入りのスニーカーだったんです。
物心ついたときに
つま先靴下が世の中にあった世代の
方たちには驚きはないと思いますけど、
当時の私には衝撃でした。